「コバルト・ブルーの発明や金紛を油に溶かし塗る技術の開発に、古典主義様式の絵画を描く技術も完成し、レパートリーは多種多彩となり、業界ではトップクラス。
しかし、神聖ローマ帝国は1789年に起こったフランス革命が引き金となり、1806年、ナポレオン率いるフランス軍に敗北。神聖ローマ帝国皇帝でありながらオーストリア皇帝と自ら称していたフランツ1世は神聖ローマ帝国の解散を宣言し、神聖ローマ帝国は消滅してしまったんや。
そんな国の状況とは反対にウィーン磁器工房には、ナポレオン軍への大量の磁器納入や、フランツ1世の愛娘と憎きナポレオンとの結婚による大量の磁器発注などで活気づいていた。また、1814年のウィーン会議では、出席者の欧州各国代表や高級官僚たちがウィーン磁器工房の磁器を買い集め、工房は絶頂期を迎えたんや。
ウィーン会議が終了すると、今までの華やかさとは違った身近な心地よいものに目を向ける『ビーダーマイヤー』が流行。ウィーン磁器工房でも簡素で実用的なビーダーマイヤーシリーズに人気が集まった。
1848年、フランツ・ヨーゼフがオーストリア皇帝に即位したころからハプスプルク家と工房には、暗雲が立ち込める。あれほど栄えていた工房は、ボヘミアの磁器の手頃な価格に押され、生産は徐々に縮小。皇帝フランツ・ヨーゼフとシシーの愛称で親しまれた皇后エリザベートが支援するも、1862年のロンドン万国博覧会を境に注文が止まり、休窯に追い込まれたんや。
一方の皇帝は、民族運動によるハンガリーの独立承認から『オーストリア=ハンガリー二重帝国』制を招き、メキシコ皇帝となっていた弟マクシミリアンの処刑、皇太子ルドルフの自殺、皇后シシーの暗殺と悲劇が続き、失意のどん底に突き落とされた。さらに次期皇帝の大公夫妻がサラエボで暗殺。それが引き金となり第一次世界大戦が勃発したのは周知のとおり。その大戦のさなか、皇帝フランツ・ヨーゼフは倒れ、息を引き取ったんや。
フランツ・ヨーゼフの後を引き継ぎ、皇帝となった甥のカールも戦況を打開しようと奔走するが、1918年、オーストリア=ハンガリー二重帝国は解体。皇帝カールはやむなく退位し、ウィーン磁器工房も再開されることなく、共に消えていったんや。
しかし、ウィーン磁器工房の高い技術と芸術性を惜しむ声に1923年、マリア・テレジアの狩猟館アウガルテン宮殿を改造して、ウィーン磁器工房アウガルテンとして蘇り,ひとつひとつを手作りで仕上げる当時の技法を踏襲。現在も世界から高い評価を受けているんや。」
本社 〒617-0823京都府長岡京市長岡2丁目1‐15
Tel 075-205-5170 Fax 075-957-7557 HP http://www.le-noble.com/
このお話も出来上がるまでに亭主様や担当者の方との校正往復書簡が何度も。
担当者の方には、たくさんの資料を調べて送っていただいています。
お休みの日に「古本屋でこんなのも見つけました」と
画像を送ってくださったこともありました。
記事の中で紹介する器と時代があっているかどうかも調べてもらいます。
昔のデザインをもとに新しくデザインを施すことも多々あり、
素人の僕たちでは、その当時の模様がいったいどれなのかわからないんですよね。
今号では、ゾルゲンタール男爵時代やビターマイヤー時代のカップを画像で紹介しましたね。

ゾルゲンタール男爵時代、ギリシャ神話に登場するグリフィン(胴体はライオン、頭と翼は鷲)などがデザインされています。

ビターマイヤー時代、飾りたてすぎない、濃淡のついた忘れな草が描かれたシリーズ

皇帝*の命令で画家ダフィンガーが描いた野草やアルプスの花のシリーズ
『ハプスブルク家とお茶碗と砂糖菓子』は、
この前のシリーズ『カオリンとシノワズリーと錬金術師』とともに
ルノーブルさんのwebページ
テーブルウェアやキッチン用品などテーブル回りの百科事典
「ル・ノーブル コンシェルジュ」でも連載されています。
ル・ノーブル担当者さんの視点の違った説明や写真も入って、
僕たちも改めて読み返し、楽しんでいます。
また、この記事とともに『大山崎リトルプレイス』と
『大山崎ツム・グ・ハグ』も紹介してくれているんです。
ぜひ、ご覧になってみてくださいね。
「ル・ノーブル亭主の徒然なるままに」は
新企画シリーズ準備のため
Vol.7は、お休みをいただきました。
新しいシリーズは、イタリアへ飛びます。
僕たちもワクワク!お楽しみに~♪

ル・ノーブル長岡京店では、このラックに並んでいます。