京都と大阪の府境にある小さな町・大山崎で、リトルプレス「大山崎ツム・グ・ハグ」など印刷物を作っている大山崎リトルプレイスです。このブログでは「大山崎ツム・グ・ハグ」記事を中心に紹介しています。 https://www.o-little-place.com/
今日もリトルプレス『大山崎ツム・グ・ハグ』の制作に励んでます。。。

 最初、オオバさんは会社の社長さんだと思っていた。社員数はたぶん3人ぐらい。長岡京市に事務所を構えていて、実際に住んでいるのは大山崎町。市内の大きなデザイン事務所で働いていたけれど、独立して広告やデザインの仕事をしている。ツム・グ・ハグを制作したのは、町からの依頼を受けて企画が採用されたから。結婚して子どもがたぶん二人ぐらい。30歳で大学時代から交際していた彼女と結婚した。休みの日は、趣味の自転車か釣りに行く。それか流行りのボルダリングなんかをする。ひょっとしたら、セミプロの登山家もしれない。運よくツム・グ・ハグ1号を駅前にあった西田書店さんでゲットしたときに、そう思いました。紙面いっぱいに埋め尽くされた文字と絵。その熱量から、きっと作った人はこんな人だろうと勝手に思っていました。


 で、そう考えていた大部分は違っていました。ツム・グ・ハグはたった一人で制作されたものでした。その時のオオバさんの主な肩書はおそらく主婦になるでしょうが、主婦というものが実は多岐にわたる職業だということは、みなさんがご存じのとおりだと思います。


 次に、オオバさんは職人だった。子育てがひと段落して作っていたというミニチュアハウスを見せてもらった。ツム・グ・ハグ同様に細かい丁寧な出来栄え。凝りすぎのフォルムと凝りすぎの紙面が同じ。そして、オオバさんの周りにはたくさんの人々がいた。当時は第一次大山崎ブームとでも言うべきか、地方移住という名の元にたくさんの人が山崎にやってきた。移住を決めた人、何度も遊びに来る人。僕もその一人。その中でツム・グ・ハグは町の情報紙として、いろんな人が愛読していました。僕も町に来る人に見せていました。「見てよ、こんなのがあるんだよ」って。


 次に、オオバさんは企画屋だった。思い出すのは「ツム・グ・ハグ祭り」。ふるさとセンターを借りきったイベント。個人であの規模のお祭りをやり切ってしまったことは、今でもすごいと思っている。同時に自主映画「家路」の制作も一緒に。僕らは町で思うがまま遊んでいた。やがて、SNSの活況と共にツムグハグの紙面も変わり、複数のライターが参加して、対象はだんだん町の事から多岐なものに移っていった。


 最初、天王山はただのこんもりした山だった。すぐに、らくらく登山ができる山に変わった。そして、そこに歴史があった。お神輿や合戦のことや、天王山の由来などを教えてくれたのもオオバさんたちだった。町のことに詳しくて、オオバさんはずっと長い間ここに住んでいる人みたいだった。誰よりも大山崎町民らしい人だと言っていいと思う。


 毎朝通勤時に、とある場所で天王山がよく見える。住宅街の中で、そこだけパッと開けて山が見える。その手前にあるのが、オオバさんのいる大山崎リトルプレス事務所。天王山と二階にある事務所が同時に見えて、その眺めがとても好きだ。そこを通りすぎたところにある、お店の物件を紹介してくれたのもオオバさんだ。書いた小説を読んで励ましてくれたのも、オオバさん。


 あの、浮かんだような事務所がなくなるのか。毎日その風景を見て「オオバさん元気かな」と思いながら通る。オオバさんと天王山。これからは天王山は天王山で、オオバさんはオオバさんになるんだろう。当たり前だけど、当たり前ではない、僕には。

天王山_このへんの人々


 オオバさんは恩人だった。恩人というとちょっと言い過ぎな気もする。本人も嫌だろうし、たいそうだし、それよりは「親戚の気のきいたお姉さん」というイメージの方がいいかな。いつも何か抱えていて、面白いことを教えてくれるような。


 ツム・グ・ハグにライターとして誘ってくれた時、「何を書いてもいいよ」と言われた。だからこの最終回は、「オオバさんのこと」を書く。そもそも不特定多数の人に何か書くのは難しいから、まずはオオバさんに読んでもらうことをずっと念頭に置いてきました。「今回はどうだろうなぁ、オオバさん楽しんでくれるかな?」それだけで3年半ほど続きました。


 「らくらく書いているんでしょう?」なんて言われますが、いつもギリギリです。今回もそんな感じです。最後までオオバさんに何を書いたらいいのかなと悩んでいます。


 やりきりましたか? オオバさん。ツム・グ・ハグの制作は楽しかったですか? 僕はとても楽しかったです。本当に。毎号「僕のコーナー浮いてません?」とビクビクしながらも、一緒に仕事ができて嬉しかったです。長い間お疲れさまでした。


 そして、「このへんの人々」を読んでくれたみなさま。町中で「読みましたよ」と声をかけてもらえるのが嬉しかったです。何らかの形で続けようかとは思いますが、ひとまず今号でお別れです。またどこかでお会いできることを楽しみにしております。ありがとうございました。

 


【プロフィール】

おりこのかずひろ

山崎(島本側)在住(19年目)。
本屋「プオルックミル ブック」店主。
私的山崎観光案内所運営、映画「家路」監督。
一児の父。物書きでもあります。

これまでの記事はこちらから

 惜しんでくださる方々に勇気をいただいて、web上で連載を続けることにしました。タイトルは「続・このへんの人々」です。NOTEというブログみたいなところで掲載予定です。どうぞよろしくお願いします。

 

【掲載紙面】


P1
P2







Add Comments

名前
 
  絵文字
 
 
ギャラリー
  • 「大山崎ツム・グ・ハグ」を振り返って  ―支援してくださったみなさまへ―
  • 「大山崎ツム・グ・ハグ」を振り返って  ―支援してくださったみなさまへ―
  • 「大山崎ツム・グ・ハグ」を振り返って  ―支援してくださったみなさまへ―
  • 主な企画記事と「物語る広告」掲載者様 一覧
  • 主な企画記事と「物語る広告」掲載者様 一覧
  • 主な企画記事と「物語る広告」掲載者様 一覧
  • 主な企画記事と「物語る広告」掲載者様 一覧
  • 主な企画記事と「物語る広告」掲載者様 一覧
  • ㈱ナイスリビング「空家・空地をどうする」
アーカイブ
カテゴリー