今まで何度も観たのに2~3年おきに必ずまた観たくなる。この分だと、死ぬまでにあと3回程度は観ることになるだろう。そして観るたびに、胸を締め付けられる思いがする。この映画には、主人公がゾンビや恐竜に襲われたり、人間の頸や手足がちぎれて飛び散ったり、ジェット戦闘機やタンクローリーが爆発炎上したりするような光景もはない。要するに見せ場がない。いや、130分全編が見せ場なのかもしれない。
映画は、教師をしている末娘の京子(香川京子)と尾道に住む周吉(笠智衆)、とみ(東山千栄子)の老夫婦が、東京に住む子供たちに会うために上京するところから始まる。医者をしている長男の幸一(山村聰)は堀切(帝釈天の近く)に住んで質素な生活をしており、医者とはいえ生活はさほど楽ではない。長女の志げ(杉村春子)は美容院を営んでおり、忙しい毎日を送っている。幸一も志げも、東京見物に連れて行くなどして両親の面倒をみたいのだが、時間的にも経済的にも余裕がない。志げの頼みもあり周吉・とみを都内観光に連れて行くのは、戦死した次男の嫁である紀子(原節子)。紀子は都内で一人暮らしをしており、OLとして勤めている。心根の優しい紀子(東京物語は『晩春』『麥(麦)秋』と並んで「紀子三部作(原節子の役名が全て紀子)」と呼ばれており、その最終作)は有給休暇を申請し、三人で「はとバス」での都内観光に出掛け、自分のアパートで二人を優しくもてなす。急に予約したからだろうか、はとバス内で三人の席がバラバラなのが面白い。この場面といい、紀子が有給休暇の取得を上司に申し出る場面といい、この映画にはさりげない現実味がそこかしこに散りばめられており、小津先生のこだわりが感じられて興味深い。
尾道に戻った二人だが、旅の疲れが出たのか、とみが急逝する。再度尾道に集合した兄弟たちだが葬儀を終え、形見分けを済ませて、そそくさと帰京する。京子は兄や姉たちを非難するが、紀子は「みなさん、お忙しいのよ」と京子を諭し、義理の兄と姉をかばう。最後まで尾道に留まる紀子だが、いよいよ東京に戻るという日に、周吉はとみの腕時計を形見として紀子に渡す。「貴女はまだ若い。昌二(戦死した次男で紀子の夫)や私たちのことは気にせず、再婚して幸せになってほしい。本当にそれを願っている」と伝える。紀子は両手で顔を覆い、号泣する。自分は、涙を流すことなくこの情景を観ることができない。今まで何回涙したことか。周吉は、ご近所の奥さんに「寂しゅうなりますなぁ」と声をかけられ、「いやぁ」と微笑み返し、映画は静かに終わる。
東京物語は世界的に評価が高く、先生の最高傑作として名高い。何故か? お互いに想い合いながらもすれ違う心と心。性別や年齢、時代や民族、それらを超越した普遍的な人の営みを題材としているからだろう。自分にも当てはまり、その身にも起こり得ることを、多くの人が意識しているからだと思う。そしてこの映画を観ると、大切なものを失ったことに気付く。かつては誰もが持っていたが、今は失ってしまったもの。映画では、誰も外来語を口にしない。「ヤバい」「エモい」「めっちゃ」などとは誰も喋っていない。かつてはこの国にあった日本語。綺麗な日本語。我々は、それを失ってしまったことに気付くのだ。
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社会保険労務士 楠 木 仁 史
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