この4月の「広報おおやまざき」の表紙が馬だったもので、そろそろ馬について語らなければならない時がきたように思います。特に、前期の息子の担任の先生の名前が馬に関連していたので、昨年から事あるごとに馬について考えてきました。実は僕にとって、馬は最も謎多き生き物です。馬のことを考えると、どうにも考えがまとまらない。あの躍動感ある体躯、それでいて牧歌的な歩み。黒豆のような無垢な瞳と、清流のようなたてがみ。どれほど鍛えても人間が決して及ばない筋肉と流れるような体つき。なのにブルブルする可愛げのある人なつっこさ。それが僕にはとてもアンバランスに思えて、ずっと不思議に感じてきました。
そういうわけで、時々馬について話をする人に出会うと(競馬はなぜか例外で興味がない)、僕は強く反応することになります。耳ダンボというやつです。
先日、島本町の長谷川書店の読書会に参加した時に、参加者の方が、祖父が大日本帝国とソビエト連邦が激突した一九三九年のノモンハンへ向かう騎馬部隊の馬の世話人だった、という話をされていました。読書会の本筋とは関係ないものの、僕はピンと透き通るような状態の「馬タイム」に突入し、興味全開で身をすり寄せました。
彼女によると、馬をクレーンで吊り下げて船に乗せて日本から大陸に輸送する際に、馬の面倒を見る係だったらしいのです。馬は人間より貴重で、その世話人のプレッシャーたるや尋常ではなかったそうです。もし馬に何かあれば、上官からの叱責や罵倒はあたりまえで、腹切りもありえるという怖さ。大陸は広大だから、馬はさぞかし重宝されただろうと思います。余談ながら、「自転車泥棒」という本でジャングルを踏破する日本軍の自転車機動部隊の話も読みましたが、それはまた別の話。
その少し前には、仔馬がケガをして、霧がかかる小島に取り残される話も聞きました。身動きできなくなった仔馬を、母親馬のいる群れが対岸からずっと見守る話です。近くには仔馬が力尽きるのを待っている肉食獣や、空には猛禽のたぐいが待ち構えています。母馬は涙を流しますが、助けに行けば自分たちも危険にさらされるため、どうすることもできない。仔馬の命が尽きようとしているのをただその場の全員が見ているだけ。何とも厳しくも幻想的であり、どうにも心に残りました。
そもそも、僕が馬に興味を持っているのは、子供の頃に僕が住んでいた町に、日常的に馬がいたためではないかと思います。外で遊ぶときや学校から帰るときに、いつも目にしていたはずです。それで高校の時に、僕が餃子の王将とブティックのある四つ角で馬が信号待ちしていたという話をすると、さすがにそれは嘘だろうと追及する派と、いやそれマジで事実だから派でノリノリになり、ナイトスクープに連絡して調査してもらおうぜという話まで出ましたが、それは実現しませんでした。今の日本の環境と違いすぎて、あれは夢だったのだろうかと思うこともあります。
ただこの感情は、単に馬が好きだということともやや違っていて、ひたすらずっと馬を不思議に感じているというもの。あんなに高貴な感じがするのに、従順なところが本当に不思議。もしからしたら、人間が見ていない時は、実は全然違う態度を取っているんじゃないかとも想像しています。今、書きながら思いましたが、もしかしたら馬は、実は「会話」が可能なんじゃないかと、本気で思ってる節が僕にはあるのかもしれません。馬が人間と話さないことが、違和感の正体のような気がしています。
もし僕が総理大臣だったら「あまりにもたくさんあるコンクリートの道をひっぺがえして、土に呼吸をさせる」と常々言っているのに加えて、そこに馬の道も作ってみたい。過去の日本みたいに。奈良市の鹿に対するみたいに。
人が滅びて他の動物が君臨するなら、馬がいいと僕は思っています。背に乗りたいわけでもないし、飼いたいわけでもない。ただとんでもなく広い草原で馬たちが会話をするその横にいて、その体躯をじっくり見ていたいと思っているだけなのです。あるいは、そこに流れる風か生い茂る木立か、ともかく自分が「にんじん」じゃなくて、その時、その場に、馬の側にいられるのなら何でもいい気がしています。
【プロフィール】
おりこのかずひろ
山崎(島本側)在住(15年目)。本屋「プオルックミル ブック」店主。私的山崎観光案内所運営、映画「家路」監督。一児の父。物書きでもあります。
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