*前回までのお話➡第1話・第2話・第3話・第4話・第5話・第6話・第7話
後鳥羽院営む水無瀬離宮に頻繁に訪れた歌人・藤原定家や周りの公家たちの儀式儀礼から公私にわたる事件まで、今なら炎上しそうな言動も交えて綴った日記から、公家社会を垣間見る第8話。
民のことを考えない、贅を尽くした離宮の建設や後鳥羽院のさまざまな遊興にうんざりな定家。それには定家の苦しい家計も関係しているようです。
当時、自分が関わるお勤めの経費は自己負担。無理難題な出費に定家は喘ぎます。
定家の収入源
この時代の公家たちの収入は、官位に応じた給料と自身が管理する荘園(貴族たちが開墾・経営した土地)からの私的収入でした。
しかし当然、官位が下位だと給料は低く、主な収入源は荘園からの税でした。かといって、荘園の持ち主は摂関家などの有力貴族や大寺院。定家たち中・下級の公家はその荘園を預かって管理し、報酬を得ていました。
定家には、父・俊成から受け継いだり、兼実やその息子・良経から与えられたりした荘園が全国に十余り。しかし、遠かったり小規模だったりで辞退することも。
その上、頼朝が源義経討伐の名目で設置した地頭や権力者によるいざこざが定家を悩ませます。
【参考文献】村井康彦『藤原定家「明月記」の世界』
岩波新書 稲村栄一『定家「明月記」の物語』 ミネルヴァ書房・『訓注明月記』第1巻 松江今井書店 伊藤俊一「荘園」中央公論社 朝日新聞「冷泉家の歴史」
【前号の誤りと修正のお知らせ】
前号❼の地図で間違いがありました。左記に訂正します。
① 水無瀬神社⇒ 水無瀬神宮
② 島本町役場・池の位置
高速道路の上⇒JR 島本駅と高速道路の間
③上御所の位置
地図左側真ん中辺り (まだ確定できないため
広めに予想して)
⇒地図左側水無瀬川から役場辺りまで
*ご協力 大山崎町歴史資料館館長 福島克彦さん 文・絵 オオバチエ
*これまでのお話はこちらから全話ご覧になれます。
*1 「歌帝 後鳥羽院」P127
*2 天皇の后妃、女官のひとつ
*3朝廷に仕え、一人住みの部屋(局)を与えられた女官
*4天台宗比叡山延暦寺の住職で、一門を総監する職
【参考文献】