だいたい去年の春頃からか、自分の運がかなり良くなっている気がします。日常でラッキーな出来事(欲しいものが急に安くなったり、急いでいる時の信号のタイミングが絶妙など)が増えました。概ね、こうであればいいのにという方に話が転がります。オカルトっぽい話とはいえ、どこかおかしいのではないかという頻度。ラッキーを超える強運、強運を超える豪運とでも呼べばいいのか、とにかく何でもかんでも良く当たります。
如実にでるのがじゃんけんで、やればほとんど勝ってしまいますが、この豪運は良し悪しとは無関係なようで、当たりたくないものも当たります。例えば、新型コロナとか(寝込んだけれど無事でした)、あるいは学童のPTAとか、その会長職とか。学童のPTAは負担は少なめでしたが、会長に当たりたくなくて、公平にじゃんけんで決めましょうと提案し、どうせなら勝った方にしようと告げ、一人だけぶっちぎって勝ってしまう独り相撲。さらに、ようやくこの春で任期が終わると思えば、息子が参加している少年野球の代表に「くじ」で当たってしまいました。謎の豪運が続きます。
良いことを挙げると、妻が運営している店の売り上げが戻ってきたこと(赤裸々ですいません)、そして極め付けが、京都文学賞の優秀賞をいただいたこと。勧められて応募したら、あれよあれよと選考を通過し、優秀賞を受賞しました。文学賞は審査する方との相性に大きく左右されますので、その運も猛烈に良かったということになるでしょう。何かもう当たり過ぎて、これ今、宝くじを買えば本当に当たるんじゃないのと話題になっていますが、そういうことをするとダメになるという感じがするので、今のところ、買わない予定です。
元々、僕はあまり運が良くない部類だと思っていました。恵まれているとは言い難い家に生まれ、人があまりやらなくてよいことをやってきたという意識があります。根性と機転でなんとか切り抜けてきました。だから、運が良いか悪いかと言われると悪い方だとずっと思っていました。
でも、最近違う気もしています。本当は気がつかなかっただけで、元々僕はラッキーな人なのかもしれません。ふと思い出したのは、数年前、命に関わる病気が再発したかもしれない知り合いがいて、再検査をするという出来事がありました。その検査当日の朝、たまたま病院に向かう彼女に染工さんの前でばったり会いました。彼女は自転車に乗っていて、これから病院に行く所でした。声をかけると涼しい顔で、「朝から、ちーたん(僕のこと)に会えたから、今日はすごくラッキーやわ」と言ってにこにこ去っていきました。僕より不安でいっぱいのはずの人が、僕のことをラッキーだと言うことにびっくりしたのを覚えています。去っていく背中を見ながら、誰へともなく「聞いてよ、僕のことラッキーっていう人がいるんだよ、信じられる?」と話しかけ、ちょっと泣きました。そうか、僕はラッキーな男なんだ。だからきっと彼女は大丈夫に違いないと信じました。そして実際に大丈夫でした。
豪運の日々は続きます。「思い通りにはならないけれど、何かしら当たる日々」。それが僕の人生です。この正月に引いたおみくじはもちろん「大吉」で、そこに「願いは叶う日が近い」「争いは収束する」とありました。作家になりたいという願いは本当に叶いつつあり、そして後者。今は募金ぐらいしかできなくて、どう終わるのか想像もつかないですが、あの戦争も必ず収束に向かうと信じています。
【プロフィール】
おりこのかずひろ。山崎(島本側)在住(15年目)。私的山崎観光案内所運営、映画「家路」監督。一児の父。基本的にサラリーマンですが、物書きでもあります。
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■掲載記事⇩ Vol.53 P1-2に掲載