京都と大阪の府境にある小さな町・大山崎で、リトルプレス「大山崎ツム・グ・ハグ」など印刷物を作っている大山崎リトルプレイスです。このブログでは「大山崎ツム・グ・ハグ」記事を中心に紹介しています。 https://www.o-little-place.com/
今日もリトルプレス『大山崎ツム・グ・ハグ』の制作に励んでます。。。

【前回までのお話】第1話第2話第3話第4話第5話第6話第7話第8話第9話第10話

 平安時代の瓦づくり空間を体感できる「史跡大山崎瓦窯跡公園」。公園造営を担当した大山崎町生涯学習課の古閑さんに日本の瓦づくりとその歴史を伺う第11話。
最終話です。

【前回までのお話】

 6世紀半ばに仏教が伝わり、その広がりとともに寺院建立が流行して瓦づくり技術が発展。やがて瓦屋根は宮殿にも使われるように。8世紀末、都は奈良から京都の長岡京、続いて平安京へと遷都。その都を造営するために造られたのが大山崎瓦窯です。平安時代の都づくりを支え、平安京の完成とともに姿を消しました。

 国家プロジェクト的規模の大山崎瓦窯でしたが、歴史書にその記録はありませんでした。しかし、この瓦窯の発掘によって、文献では見えなかった平安京造営の過程や天皇の関わり方が鮮明になりました。前回では、文献と遺跡の両方から歴史を見ることの大事さや遺跡を未来に残していく必要性を述べました。
瓦窯イラスト1

 「歴史は、テストの点を取るため、受験に必要だから勉強していた」という方は多いかと思います。この記事を書いてきた私もそうでした。


  今回は、私の体験も交えての進行です。


 大山崎に越してから「家はどこかと」聞かれ、「大山崎町」と答えてもわからない人には、切り札のように「天王山のある町よ」と答えます。取材を通じて、古閑さんをはじめ町の学芸員の方から町の歴史を伺うようになってからは、その話にでてくる建造物や遺跡が自然と目に入ってくるようになりました。


 大山崎に来るまで、私は遺跡の発掘現場に出くわすことはありませんでした。気が付かなかっただけかもしれません。現場に出くわしても、「

「その後の工事で何ができるのか」と胸を躍らせることはあっても、遺跡に思いを馳せることはなかったと思います。それが大山崎で暮らすうちに、「何が出てくるんだろう」「遺跡は保存されるんだろうか」と思うようになりました。


 どこに遺跡があるのか知られている土地(周知の埋蔵文化財包蔵地)は、全国で約46万カ所。その土地を開発する場合は工事前に届け出る義務があり、恒久的な道路建設や大規模な開発によって地下の遺跡に影響を及ぼす場合は、事前に発掘調査が実施されることになります。大山崎瓦窯跡は、地下の遺跡が過度な盛り土で影響を受けるため、調査がなされました。


 調査後に遺跡が見つかり、それが文化財として価値があれば、保存することになります。保存には遺跡を現状のまま保存する「現状保存」と、遺跡を完全に発掘して詳細な記録を残す「記録保存」があります。


 毎年、9千件程度の発掘調査が全国で行われ、その大半は記録保存された後に壊されます。大山崎瓦窯跡のように史跡指定を受けたのは、これまでで2千件にも達しません。
瓦窯イラスト2

 「日本は高度成長期の頃、遺跡や伝統的なまちなみを考慮せずに、急激に開発を進めました。結果、どこに行っても同じような個性のないまちになりました。『これではいけない、独自のまちづくりをしなきゃ』と考えたときに行きつくのが、大体、まちの歴史なんですよ。それを考えずにまちづくりをすると、結局また個性のない町になってしまいます」と古閑さん。


 大山崎町には誇れるものがいくつもあります。それが開発などですべて失われてしまってゼロから町づくりをするとなったとしたら、歴史を基にといわれても失ったモノの大きさに呆然とするばかりのような気がします。


 開発が続く中、事前発掘調査の数も増え続け、遺跡保存運動も盛んでしたが、保存に成功しても博物館などで展示するといったような活用は進んでいませんでした。


 そんな時代の1975年、世界遺産条約が発効しました。

「地域の遺産が実は世界的にもすごくいいもので、それを世界遺産にして世界で保護・保存していこうという発想。文化財一つを指定するのとは違い、地域に点在する遺産をその地域の歴史や伝承・ 風習などのストーリーでつないで1つの遺産ととらえる取り組みです。自分の地域の良さってなんやろうと考え、他の地域との違いに気づき、ここにいてよかったなと思う。それが多様性を生み、他の地域と互いの良さも認めあうようになってもらいたいという狙いもあります」。


 遅ればせながら日本は1992年に世界遺産を批准し、これまでに京都の「古都京都の文化財(16社寺1城)」をはじめ25件が登録されました。これがきっかけで、文化財を取り入れたまちづくりや活用を考える機運が日本各地に広がりました。縄文時代や弥生時代などの生活が体感できる遺跡公園は、人気のスポットになっています。


 余談ですが、大山崎瓦窯跡の公園化に際しては整備委員会が創設され、住民代表の一人として私も参加しました。遺跡の保存について無知な私は、高槻のハニワ公園のように窯が見える形で実物が展示されると思っていたのですが、遺跡に一番優しい保存方法は「土の中」だと知りました。委員会では、この遺跡の特質を活かした整備が検討されました。計画的に整然と配置された10基の窯が植栽や陶板によって表示され、当時の地形に復元された見晴らしの良い公園になりました。

史跡大山崎瓦窯跡_ドローン2_RGB


   最後に古閑さんに歴史について伺い、このシリーズを終わりにしたいと思います。

「地域の歴史や遺跡には、その土地固有の出来事と時代性・社会性の両者が読み取れ、教科書で学ぶ歴史とは違う切り口や材料がいっぱい埋め込まれています。勝者の思惑や時代の価値観によって彩られた歴史も、地域の歴史や遺跡から見ることで虚飾のない当時の日本の実情が見えてくるんですよ」。おわり


瓦窯イラスト3

お話 古閑正浩さん・文 オオバチエ


こちらから全話ご覧になれます。

掲載紙面
P2


 P2に掲載
Vol51_中ページ

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