【前回までのお話】 第1話、第2話、第3話、第4話、第5話、第6話、第7話、第8話
6世紀半ばに仏教が伝わり、その広がりとともに寺院建立が流行って瓦づくり技術が発展。
781年、寺院や天武系勢力からの政治介入を避けるため、桓武天皇は都を奈良から京都の長岡京へ遷都。しかし、その完成を待たずして794年、都は平安京へ。古閑さんは「桓武天皇は3代にわたって平安京を造営して完成させることを目論み、長岡旧京は平安京の経済を支える地域として利用したのではないか」と推測しています。
その都を造営するために造られた大山崎瓦窯。淀川を介して吉志部瓦窯と河川工事に従事する労働者を共有し、都造りを支えました。
徳政相論(良い政治とは何かの議論)により平安京造営の中止が決まり、瓦窯も廃窯や操業中止になったものの、嵯峨天皇期には造営を再開。