これまでの「天王山でひと話咲かせましょうータムさんのお話」全話は
こちらからご覧になれます。 宝積寺から天王山に登ると、最初にたどり着く休憩場所が青木葉谷展望広場。僕はここからのながめが好きだ。眼下で木津川、宇治川、桂川の三川が合流して一本の淀川となり、ゆるやかに蛇行しながらゆったりと流れている。空気が澄んでいれば、遠くに大阪中心部の高層ビル群を見ることもできるよ。
何年か前に、青木葉谷展望広場や旗立松展望台の周辺の雑木が伐採されたことがあるんだ。現在は再び成長してきた雑木がじゃまになってきたけれど、当時は展望台からの視界が広くなり、見晴らしがとても良くなった。お日様をさえぎっていた大きな常緑樹が伐採され、登山道も明るくなった。丈の低い木も刈り払われたので地面が見えるようになり、それまで小枝や雑草に隠れて見えなかった景色が姿を現したんだ。
見通しが良くなった登山道をまわりを観察しながらのんびりと登っていると、青木葉谷展望広場の少し下の林の中にキラリと光る青いものを見つけた。それは地面に埋まっているガラスビンの一部だった。登山者の多い天王山では、道から外れた意外なところで捨てられたビンや空き缶を目にすることがある。マナーの悪い登山者が投げ捨てた空きビンだろうと思って通り過ぎようとしたけれど、なんだか気になったので掘り出してみたんだ。
この土の匂いのする汚れたビンが山に捨てられて、いったいどれほどの年月が経ったのだろう。幸運なことに、ビンは割れていなかった。自宅に持ち帰り、中に入っている泥をかき出して水でていねいに洗ってみると、青く透き通った美しいガラスビンに生まれ変わった。
ビンをよく見ると、ガラスの部分には大小さまざまな気泡がいくつも入っている。厚さも均一とは言い難い。ビンの強度を保つ上では問題がありそうだ。現代ならば、こんな品質の悪いビンは出荷されないだろう。でも、図面どおり正確に製造された工業製品にはない、手仕事の温かさのようなものが感じられる。ガラス工芸作家が制作した一点物の作品のようだ。なんだか宝物を拾ったみたいでうれしくなったよ。
ビンの側面には「御茶」「定価七銭」「神戸鉄道局指定」「西官営業人組合考案」「酒井硝子製造所製造」「新案登録第九一二四七号」と、古い字体で右から左に横書きの浮き彫りで表示されている。インターネットでいろいろと検索して調べてみると、それはずっと昔に鉄道の駅で駅弁とともに売られていたお茶を入れる容器だったんだ。「鉄道茶瓶」とか「汽車茶瓶」と呼ばれていて、使い捨てだったらしい。だから粗雑に造られた安物のビンが使われていたんだ。
駅弁とともに売られていたお茶は、最初は専用の陶器の土瓶に入れて売られていたけれど、「中のお茶の量が見えない」とか「破損しやすい」などの理由で使用が禁止され、ガラス製のビンに代わった。しかし、ガラス製のものは「割れた破片で怪我をする」とか「尿瓶のようだ」と不評を買い、再び土瓶の容器に戻ったのだそうだ。ガラス製の茶瓶は、大正末期から昭和初期のわずかな期間にだけ製造されたらしい。このビンは、ずいぶん昔に製造されたものだったんだ。とても貴重な歴史遺産なのかもしれないね。
駅弁といっしょに買われたであろう、このビンのお茶を飲んだのは、どんな人だったのだろう。お茶を買った駅はどこだろう。どんなお弁当だったのかなあ。天王山にやってきた理由も知りたいな。もしタイムマシンがあったなら、その時の天王山に行って、いっしょにお弁当を食べながらお話を聞いてみたい。そしてひとこと言っておこう。空ビンを山に捨ててはいけません、ゴミは持ち帰りましょうと。
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