【前回までのお話】
6世紀半ばに仏教が伝わり、588年に百済より瓦博士などの技術者が日本に来日し、瓦づくりを指導します。
仏教の広がりとともに寺院建立がブームになり、やがて瓦は宮殿やそれ以外にも使われ、瓦づくり技術が発展。
781年、天智天皇の血を引く桓武天皇が即位すると、強大な力を持つようになった寺院や天武系勢力からの政治介入を避けるため、都を奈良から京都の山背国乙訓郡(現在の西向日から大山崎町下植野)へ遷すことに。難波宮の瓦を使うなどしてわずか5か月で宮を造り、桓武天皇は長岡京に移ります。しかし、都の完成を待たずして794年、平安京へ。
なぜ、わずか10年で長岡京を廃都し、どのように平安京に遷ったのか。瓦と瓦窯の遺物から読み解きます。裏面へ続く。
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