僕は昔からずっと集合住宅暮らしなのですが、いつか家を建てるなら湖畔が良いと思っていました。日常的に水のそばで暮らしたいというのが理由です。数年前、実際に琵琶湖湖畔に住んでいる知り合いにそのことを話すと、「いやー、眺めはよいけど、虫がすごいよ(琵琶湖虫というのが大量に発生するそうです)」との話を聞き、虫嫌いの家族がいるので、「それはちょっと厳しいかもしれない」と思い、諦めました。
次に考えたのが、リビングに水路を設けるというプランです。リビングの中央に溝を作り、そこに水を流し、そこかしこにハスの葉を浮かべておくというものです。庭にセーヌ川の水を引っ張ってきたモネにあやかったもので、これは良いアイデアだと悦に入って妻に説明しましたが、「全く落ち着かない」とあえなく却下。「水の音を聞きながら眠るのってロマンありません?」と尋ねても、「それはキャンプとかアウトドアだから良いのであって、日常でリビングの中を水が流れてるのはどうかと思う」と再却下。そこで考えた末に登場してきたのが、古き良き井戸の存在です。
近頃、町内で味わいのある建物が取り壊されていくのが目につきます。例えば、阪急大山崎駅前の石づくりの建物や染工さんの建物、離宮八幡宮近くの民家などです。古い建物を維持するためには手間もお金もかかるし、大変だというのはよく分かるのですが、実際にお気に入りの建物がなくなると、胸にぽっかりと穴が空いてしまいます。そんな風に取り壊した跡を見て沈んでいると、一定の確率で井戸が残っているのを発見しました。あれ、井戸って、あんな風に壊さずに置いておくものなのかなという疑問がわきます。
以来、井戸のマイブーム到来。調べてみると、役場でも井戸のことを話し合っているし、井戸修理サービスもある。カジュアルに自分で掘っている人(意外にも知り合いにいました)もいる。気になりだすと気になるもので、不動産のちらしなどに「3LDLK
井戸状態:良好」のような記載がある物件がないか探します。島本町では話題の尾山遺跡の中で井戸が発掘されたそうで、これでさらに井戸ブームは加速です。
取り壊しの跡地には、ほとんどの場合は機能的で住みやすそうな住宅が新たに建ちます。クールでつるつるの外装と今までそこにあった個性抜群の建物とのギャップを感じ、ついため息が出ます。でも、もしその住宅の中にあの井戸が残されているのなら、リビングの中央にまだ井戸が残っているのなら、一家団らん、井戸団らんができます。水は飲めなくとも冷蔵庫がわり、あるいは子供のプール用、代々の祖先への感謝もそこに。正月や盆には井戸を囲んでの井戸飲みなどが開催できます。SNSで井戸映えを競ってもいいし、金魚を飼ってもいいですね。
夜に住宅街を抜けて家に帰るとき、新しい家を見ながらそんな風に井戸のことを夢想します。すると、近寄りがたい知らない人の家だとしても、不思議と親近感が湧くのを感じます。井戸を意識することを通してふいに温かい気持ちになり(たとえ井戸水冷たくとも)、僕の空虚な心を満たしてくれます。その湧き上がる気持ちは何と言いますか。「井戸めいた」あるいは「井戸めきたつ」とでも名付けましょうか。
いつか、本当に家を建てることになったら、この「井戸めいた」気持ちを一生懸命妻に伝えようと思います。リビングに井戸なんてどう?井戸とともに生きないかと。まるでプロポースのように。たとえそれが、無理筋だとしても、ね。
【プロフィール】
おりこのかずひろ。山崎(島本側)在住(15年目)。私的山崎観光案内所運営、映画「家路」監督。一児の父。基本的にサラリーマンですが、物書きでもあります。
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