町の良さを伝えるとき、「坂道の多さ」を挙げることがあります。町中の各所に勾配があり、隠れた階段や小道が坂道に連結している。そういう坂のある町並みがめっぽう好きなのです。山崎はその点、坂道目白押し。あの山荘美術館へと至るダイナミック急坂はもちろん、町を貫く西国街道からして微妙に坂道。そして最も素晴らしいと思う坂は、山崎駅横の宝寺踏切を越えて、パン屋のパヴェナチュールさんへと向かうあの坂道です。
その道を行くときは、いつも自転車で鼻歌混じり。むろん電動アシストなし。線路を見下ろしつつ、S字カーブと直線を立ち漕ぎで進みます。すると春には桜の、秋には紅葉のアーチがお出迎え。聖天さんの味わい深い階段を横目に心臓破りの坂を登り切ると、お店に到着します。すぐさま焼きたてパンの匂いで、気分フォルテッシモ。まれにお店の定休日を忘れて来てしまい、気持ちピアニッシモになる場合もありますが。いずれにせよ、どこまでも平坦な道は味気がありません。人生同様に勾配がある方が、何かと面白いと思います。抑揚がつき、めくるめく音楽の旋律のような坂道がそこかしこに。音符のように上がったり下がったりして欲しいわけです。
物心ついてこの方、そんな風に自転車に乗り続けています。雨の日も風の日も自転車一筋。もう小学校に通っているけれど、まだ一緒に自転車に乗りたがる息子をママチャリに乗せてこいでいます。
でも最近、ちょっとした坂で息が切れるようになりました。もう年なのか何なのか、そんな時には鼻歌などどこへやら。あれほど愛した坂も途端に憎らしくなってきます。「もう丸ごとぺらぺらに平たくなってくれまいか」と願うことたびたびです。これは、人生に疲れてしまったからなのでしょうか。これでは霊感をなくしたアーティストも同然です。
ただ、そんな僕を慰めてくれる存在が最近出現しました。ご存じでしょうか、天王山に自転車の精霊が見えるのを。西国街道を走っていると見えますが、山の上にひときわ高く茂っている一本木があります。その姿が、今まさに山を駆け降りる自転車の巨人に見えるのです。それは朝起きて眼鏡が見つからずにさまようおじいちゃんか、「かゆい所ないですか?」と尋ねる美容師にも見えないこともないでしょう。しかし僕の目には、圧倒的に自転車を全力でこいでる人に見えます。抜けるような空を背に何と雄大なことか。きっと彼であれば(彼女かも)、あのSF映画のように月を背景にして桂川を楽々と飛び越えることも可能でしょう。。
厳しい坂道でママ友に優雅に電動自転車で抜きさられ、力尽きて3合目で降りてしまう時、プライドはずたずたです。そんな時によぎるあの存在。見上げると彼は、自転車(電動なし)の全てを肯定してくれます。どこまでも爽やかな彼に勇気づけられ、再びペダルに足を乗せて体重を加えます。自転車は命を取り戻し、一回転ずつ微速前進。そしてみごとに登坂し、ガッツポーズ。ありがとう自転車の精霊。おかげさまで僕は、まだまだパンを買いに漕いで行けそうです。
【プロフィール】
おりこのかずひろ。山崎(島本側)在住(15年目)。私的山崎観光案内所運営、映画「家路」監督。一児の父。基本的にサラリーマンですが、物書きでもあります。
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