京都と大阪の府境にある小さな町・大山崎で、リトルプレス「大山崎ツム・グ・ハグ」など印刷物を作っている大山崎リトルプレイスです。このブログでは「大山崎ツム・グ・ハグ」記事を中心に紹介しています。 https://www.o-little-place.com/
今日もリトルプレス『大山崎ツム・グ・ハグ』の制作に励んでます。。。

 新型コロナウィルス感染症の拡大防止の観点から2月より休館していたアサヒビール大山崎山荘美術館(以下「アサヒビール美術館」)が、感染防止対策を整えて6月19日から展示を再開。3月より開会予定だった「生誕130年 河井寬次郎展」を来年3月7日まで会期を延長して開催中です。


 アサヒビール初代社長・山本爲三郎は、河井寬次郎や柳宗悦が提唱した「日用雑器の中にも美はある」とする民藝運動に賛同。民藝作家たちの作品を集めて支援しました。

 アサヒビール美術館は、このコレクションを納めるためにできたのかと思うところですが、そうではありません。


 アサヒビール美術館の前身「大山崎山荘」は、大阪の実業家・加賀正太郎(ニッカウヰスキー創始者の一人)が自ら指揮を執り、大正から昭和にかけて建てた名建築と庭園です。加賀家の手から離れた後は持ち主が定まることなく、1989年に100戸を超えるマンション建設計画が持ち上がります。住民を中心に保存運動が起こり、当時の京都府知事・荒巻禎一も天王山にマンションが建つことを憂い、京都出身のアサヒビール社長・樋口廣太郎に相談。府と町、アサヒビールが協力し、美術館として蘇ることになりました。


 美術館になることが決まると樋口廣太郎は、山本爲三郎の遺族にコレクションの展示を願い出ます。遺族は「この美術館なら」と寄贈することを決め、こうして山本爲三郎コレクションは美術館に収められたのです。今回の展覧会には、この中から河井寬次郎の作品が並べられています。


 今回から3回にわたって、河井寬次郎と山本爲三郎、山本爲三郎と加賀正太郎のつながりや展覧会について、アサヒビール美術館広報の池田恵子さんのお話を交えてご紹介していきます。          

裏面へ続く 


①河井寬次郎_筒描花文額皿_1950年_アサヒビール大山崎山荘美術館蔵

《筒描花文額皿》1950年アサヒビール大山崎山荘美術館蔵


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          読者プレゼント           

「生誕130年河井寬次郎展」のご招待券を先着3組の方にプレゼント。
はがきに〒・住所・氏名・招待券希望と書いて、下記までお送りください。
今号の感想なども書き添えていただくと嬉しいです。
当選者の発表は招待券の発送をもってかえさせていただきます。

 

【送り先】〒618-0071 

京都府乙訓郡大山崎町大山崎尻江34ー1 

京都新聞大山崎販売所2F  

大山崎リトルプレイス宛

【紙面⇩】

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