平安時代の瓦づくりの空間を体感できる「史跡大山崎瓦窯跡公園」のオープンに伴い、生涯学習課の古閑さんにお話を伺いながら平安時代前後の瓦づくりの歴史を紹介しています。
【前回までのお話】
日本の家屋は元々、夏の高温多湿の気候に
合わせた掘立小屋に板葺き屋根でした。
中国より仏教が伝わると、豪族たちの間で布教と寺院建立がブームになり、
やがて、律令制の中央集権国家を目指して
唐をモデルに藤原京を造営。宮殿で初めて、
瓦屋根が採用されます。しかし、
都城として不十分とわかり、平城京造営へ。
平城京では宮殿以外にも瓦葺屋根が推奨され、
【平瓦の桶巻づくりのここが問題】
前の号で紹介した有畦式平窯はこの時期に開発され、以後主流に。
【裏山に開窯―初国営窯工房】
都の裏山に工房をつくり、国が一括管理。
燃料の薪も粘土も採れ、瓦の同一規格化も労務管理もバッチリ。
【やっとできた平城京なのに…】
こうして平城京ができ、710年に遷都。
しかし、聖武天皇の時に恭仁京へ都を移します。
その後も紫香楽宮、難波宮と遷都を繰り返し、再び平城京へ。
【仏教界にすがる天皇たち】
一方で、仏教の力で災いを鎮めようと
大仏の建立や各国への国分寺の建立を命令したり、
娘の孝謙天皇は僧の道鏡を重用したり…。