京都と大阪の府境にある小さな町・大山崎で、リトルプレス「大山崎ツム・グ・ハグ」など印刷物を作っている大山崎リトルプレイスです。このブログでは「大山崎ツム・グ・ハグ」記事を中心に紹介しています。 https://www.o-little-place.com/
今日もリトルプレス『大山崎ツム・グ・ハグ』の制作に励んでます。。。
第3話はこちら

ドッチア窯(現リチャード・ジノリ)の工場変革は止らない!
 


「1791年、ロレンツォが亡くなり、まだ若かった息子のカルロ・レオポルド・ジノリ(以降レオポルド)は、しばらく母に経営を任せ、祖父や父と同様、各地の窯を回り、技術的な知識を蓄えてから帰国。高さ12mにもなる窯を造ったり、1801年には初の直営店をフィレンツェに開き、市民も磁器を手に出来るようにしたんや。

フランス革命、ナポレオン戦争とヨーロッパが大きく動いた時代で、芸術の世界ではネオクラシズム(新古典主義)が主流となり、有名画家のフレスコ画や油絵の複製やシンプルで直線的な『インペロ』様式のデザインなどが登場した。

1837年、レオポルドが亡くなってからは、幼い息子ロレンツォ2世ジノリ・リーシ(以降ロレンツォ2世)に代わって、レオポルド夫人が約10年間工場を運営した。

のちに成長したロレンツォ2世はフランスに渡り、磁器に関わる学問や技術を習得。ドッチアに戻り、工場を引き継いだ。

その数年後、パオロ・ロレンツィーニ(以降パオロ)を工場長に抜擢。パオロは、工場のさらなる改良や数々の万国博覧会への出展に尽力。以来、重要な役を担うんや。

またロレンツォ2世は、職人たちへ年金や保養所を用意するなど福利厚生も整えたんや。こうした彼の数々の手腕によって工場は大発展していったんやな。

そうそう、1873年のウィーン万博には日本も参加。閉会後に岩倉具視使節団がドッチア窯を見学してるで」。つづく


ジノリ第4話


 直輸入ブランド洋食器専門
ノーブルトレーダース株式会社
本社 〒617-0823京都府長岡京市長岡2丁目1‐15  
Tel 075-205-5170 Fax 075-957-7557   HP  http://www.le-noble.com/ 


【紙面版】
リチャードジノリ第3の窯
 
第5話はこちら
話はこちらへ

Add Comments

名前
 
  絵文字
 
 
ギャラリー
  • 大山崎ツム・グ・ハグ今後の発行予定と廃刊のお知らせ
  • ㈱ナイスリビング「住宅ローン金利上げ」
  • ㈱ナイスリビング「住宅ローン金利上げ」
  • ㈱ナイスリビング「住宅ローン金利上げ」
  • いま、図書館が面白い「ミュンヘン国際児童図書館    Internationale Jugenbibliothek Munchen」
  • いま、図書館が面白い「ミュンヘン国際児童図書館    Internationale Jugenbibliothek Munchen」
  • くすの木労務経営管理事務所「東京物語」
  • タムさんのお話 第58話 「タカの渡り観察」
  • タムさんのお話 第58話 「タカの渡り観察」
アーカイブ
カテゴリー