
平成16年、宅地開発前に行われた天王山麓の遺跡調査で、瓦を焼く大規模な工場跡が見つかりました。平安京を造るための瓦窯とわかり、18年には国からの指定を受け、史跡公園として保存・整備することになりました。
窯が見つかった場所に窯と同じ大きさの植栽を8か所、陶板での平面復元を1カ所など、当時の瓦工場の様子を感じ取れる整備が進んでいます。
史跡整備を担当する大山崎町生涯学習課の古閑さんにお話をうかがいながら、瓦と窯の歴史や作り方、『史跡大山崎瓦窯跡』公園を紹介していきます。
【史跡って何?】

【瓦窯の発掘現場は…】
最終的に12基が確認され、その内の10基があるところが史跡公園に。
【窯跡はどこへ?】
遺跡を発掘した後は、埋め戻し保存・露出展示・復元展示などを行いますが、
大山崎瓦窯跡は、記録を取った後に埋め戻し保存。その上に公園が造られます。
【瓦窯の中はどうなってるの?】
山の斜面を利用してできています。


【瓦は仏教と共に】

【大山崎瓦窯は最高の立地】
船での運搬に便利な桂川(昔はもっと山側に流れていた)と、
薪が豊富な天王山に挟まれたこの地は好立地でした。
薪が豊富な天王山に挟まれたこの地は好立地でした。

【瓦は仏教と共に】
日本で瓦作りが始まったのは、国として仏教を受け入れることになってから。

物部氏に勝った蘇我馬子は、天皇に飛鳥寺建立を願い出ました。

右ページが、大山崎てくりふらり+昔のお仕事図鑑 『史跡大山崎瓦窯跡』 平安京の瓦づくり工場 ❶
左ページは、ツムグハグお仕事図鑑『靴職人①』

物部氏に勝った蘇我馬子は、天皇に飛鳥寺建立を願い出ました。

右ページが、大山崎てくりふらり+昔のお仕事図鑑 『史跡大山崎瓦窯跡』 平安京の瓦づくり工場 ❶
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