亭主様、今度はベドガーたちにどんな悲運が?
「1707年12月の実験でやっと半透明な磁器のサンプルができ、あと一息というところでチルンハウス伯爵が赤痢に罹ってしまうんや。当時は治療法がなく、死に至る病気やったんやなぁ。ベトガーの献身的な看護も虚しく、伯爵は亡くなってしまう。アウグスト王の怒りから処刑寸前のベトガーを助け、王をはじめ周りから慕われた伯爵。彼を失った事を忘れるかのように、ベトガーたちは磁器づくりに没頭していったんや。
1709年3月、ベトガーは改良を重ね、ついに王が望む、透明な白磁のポットを誕生させた!これで自由になれると期待したベトガーだったが、王は今だ黄金への夢は諦めておらず、黄金作りも迫った。またベトガーも、透明で白肌の土台は出来たものの、中国磁器と同等のものを作るには、染付と上絵に使う絵の具や釉に工夫がいることはわかっており、自由を手に入れることはまだ先と観念したんや。
王は、ベトガーの磁器が中国磁器と同じ位の芸術性を持ち、かつ安定して量産できるとはまだ思えず、伯爵やベトガーが望んだ工場設立には慎重やった。
王は、専門委員会を開き、5人の委員と工場の設立を検討。1710年、磁器発明とマイセン王立工場設立をヨーロッパ中に発表した。
新工場は、磁器作りの秘法を守るため難攻不落のアルブレヒト城となったが、ベトガーはドレスデンに残り、磁器開発の継続を命じられ、工場長には、ベトガーの監視役も兼ね、ベトガーの宿敵ネーミッツを抜擢。ベトガーは工場監督を任されたものの、アルブレヒト城のあるマイセンとドレスデンを年に数回行き来するのみで、秘密裏で動く宿敵と王の浪費がベトガーを悩ませ続けることになるんや。」
《大山崎ツム・グ・ハグ12月号より》
参考文献
『マイセン』ジャネット・グリーソン著・南條竹則訳 集英社
『マイセン』南川三治郎・大平雅巳 玉川大学出版部
『マイセン磁器と東洋趣味』『マイセン磁器誕生生前史』
共に嶋屋節子著 広島芸術学会http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00031562
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