わたしが5歳のある日のことです。アメリカ出張から戻った父の荷物のなかに一冊の英語の絵本がありました。タイトルは"CHOO CHOO"。そうかの有名な『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』の原書です。とくに大切に手渡されたという記憶もないので、おそらく誰かにもらったものを持ち帰っただけだったのでしょう。しかしわたしは、ひと目でこの絵本に釘づけになりました。
裏表紙から表紙につながる絵のなかの機関車の疾走感。追いすがる人間を寄せつけず、力強くびゅんびゅん走る姿。唯一色彩がほどこされた見返しの愛らしい街並み。この汽車は、どうやら牧場や畑のある田舎町から川向こうの大きな街へ行くのを仕事としているようです。
英語で書かれたものですから、もちろんこどものわたしには読めません。でも文字が読めなくても、この絵本には人の心を惹きつける魅力が詰まっていました。
本編は黒一色ながら、ちゅうちゅうのぴかぴかの車体の美しさ、立派さに加え、内面の気立ての良さ、我慢強さ、可愛らしさ、一途さが伝わるぬくもりにあふれています。線路のカーブや吐き出す煙をあらわす線から、ちゅうちゅうの働きぶりや走る速度、気持ちまで感じ取ることが出来ます。
やがてちゅうちゅうが冒険を企て実行する場面では、人々や牛や馬を含めた辺りの風景の傾き具合などから、その慌てぶり混乱ぶりが見て取れ、わくわくとした期待感が高まります。
次第にちゅうちゅうが疲れてくると、ちゅうちゅうの心細さや「こんなはずではなかった」という焦りをともに感じ、一緒になって悲しくなったものです。幼いわたしは繰り返しこの絵本を眺め、ページをめくり、ちゅうちゅうと一体となって走り、自分なりの物語を頭のなかでつくり上げました。
村岡花子訳の日本語版を読んだのはもっとずっとあとになってからですが、その内容は小さかったわたしが絵を読み思い描いたおはなしとほぼ違いありませんでした。
しかし最近になって驚いたことがあります。英語版を再読して気づいたのですが、なんとちゅうちゅうは女の子だったのです!(みなさんはご存知でしたか?)
バートンのほかの作品で「メリー・アン」(『マイク・マリガンとスチーム・ショベル』)や「けいてぃー」(『はたらきもののじょせつしゃけいてぃー』)や「メイベル」(『坂の街のケーブルカーのメイベル』)がいきいきと働いている姿を見ていてなお、ちゅうちゅうもまた女性であると思い至らなかったのは、わたしのなかにも根深いジェンダーバイアスが存在しているということなのかもしれません。5歳のわたしがちゅうちゅうは自分と同じ女の子だと知っていたら、また違った読みが出来たでしょうか。女だ男だと気にするのは大人だけでしょうか。でももしかしたら、この冒険の物語の主人公が同性だとわかっていたらちょっとばかり世界が違って見えたかもしれないと、大人のわたしは思うのです。
(プロフィール)
ライター/えほん講師 なが田ゆう子
『絵本とおはなし どんぐりん』として、大山崎中央公民館図書室で隔月水曜日におはなし会をしています。