ほとんどの方が日々、日本茶を飲んでいると思います。どこでどんなお茶を買って、どのように飲んでいますか?
大山崎や島本は、お茶にゆかりのある地域ですね。有名な茶室があり、茶道としてお茶を嗜む方も多いでしょう。
かつて乙訓がお茶の産地だったこともあります。明治時代前半では大山崎荘(離宮八幡宮の領地)の特産物の一つでした。竹・筍よりも出荷が多く、米に次いで出荷額が2位の時期もありましたが、1902年(明治35年)には出荷はなくなっていました。
さて、今回紹介する岡村友章さんは、自ら農家に足を運び、納得できるお茶を仕入れて販売する「にほんちゃギャラリーおかむら」の店主さんです。島本町出身で、奥様と小さなお子さん二人と島本町で暮らしています。
実店舗はありません。ネットやイベントでの販売、雑貨店や飲食店などさまざまなお店を通じての販売を行っています。

「なぜ日本茶なんですか」とよく聞かれるそうです。それに加えて、サラリーマン生活を捨てての開業、店舗なしのスタートについてなど、伺いたいことは尽きません。何が岡村さんを突き動かしたのか。まずは、お茶の販売を行う以前のお話から伺います。
*参考文献「大山崎町史」「京都府茶業百年史」
①就職活動
外資系企業への就職活動をしていた岡村さんでしたが、
違和感を感じて公務員へと方向転換。


1年後、国際日本文化研究センター(日文研)に就職。
最前線を行く研究者をそつなくサポートし、26歳で結婚。
公私ともに順調な日々。
違和感を感じて公務員へと方向転換。


1年後、国際日本文化研究センター(日文研)に就職。
最前線を行く研究者をそつなくサポートし、26歳で結婚。
公私ともに順調な日々。
②故郷を見せてあげたい
③不審な男になる
徳島にある故郷はいわば限界集落。実家はすでに廃屋。
見知らぬ男の出現にお隣のKご夫妻は怪訝な様子…。

見知らぬ男の出現にお隣のKご夫妻は怪訝な様子…。

④その家だけのお茶
事情を話すと笑顔に変わり「あがれ、あがれ!」