京都と大阪の府境にある小さな町・大山崎町で、リトルプレスやチラシを作る『大山崎リトルプレイス』での日々
今日もリトルプレス『大山崎ツム・グ・ハグ』の制作に励んでます。。。
アサヒビール大山崎山荘美術館のトンネルをくぐり、
歩いていると、左手に見えてくるのが『生々居』。
加賀高之さんにお話を伺いました。
 
 
加賀高之さん(以降高之さん)は、大山崎山荘(現在のアサヒビール大山﨑山荘美術館本館)を
自ら設計・建築した加賀正太郎氏(以降正太郎氏)の甥にあたります。
 大山崎で現存する正太郎氏設計の建物は、栖霞楼(物見塔)、大山崎山荘、橡の木茶屋、
彩月庵、旧車庫(現在無料休憩所)、琅玕洞(トンネル)ですが、その他にも設計した建物があったそうです。
 
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『閑静亭』内から  『清水の舞台』、三川合流に向かって撮影。
舞台は建物を囲むように凹になっていました。写真:加賀高之氏提供

 昭和8年に完成した『閑静亭』。『清水寺の舞台』を模した舞台があり、
庭園を降りたところから琅玕洞の上にかけて建っていました。
時折お客様を招き、舞妓さんも呼んで三味線や琴を楽しんだそうですが、
残念ながら漏電で焼失してしまいました。その後に設計したのが『生々居』。

 当時、満州事変、日本の国際連盟からの脱退と続き、日本は徐々に戦争へと近づいていました。
戦争が始まってからでは建てられなくなると昭和10年に急いで工事が始まり、翌11年に完成。
大山崎では、これが正太郎氏最後の建築物となりました。
 
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 大山崎以外では、現在のJR甲子園口の北側駅舎、茨木市にある茨木カンツリークラブにも
正太郎氏がコース設計に大きく関わりました。
茨木カンツリークラブは「関西に本格的コース(18ホール)を作ろう!」と有志と共に各界に働きかけ、
正太郎氏の「本格的コース」へのこだわりを貫き出来たゴルフ場です。
 
高之さんが大阪から大山崎に越してきたのは昭和18年、小学校1年生の時でした。
大阪空襲で家が全焼、ご両親と共に『生々居』に移り住み、現在に至っています。
 
『生々居』の玄関は、トンネルから続く道沿いにあり、『生々居』の2階になります。
外壁は、赤松で当初は木肌そのままでしたが、保護のため塗装を施し、現在は濃茶色になっています。
 正太郎氏は建物だけでなく、調度品などもデザインしたことで有名です。
次号では正太郎氏がデザインした数々の『生々居』の家具・調度品を中心にご紹介します。
 
 
参考:「大山崎山荘と蘭花譜 : 数寄者加賀正太郎の世界」 (大山崎町歴史資料館著)・
アサヒビール大山崎山荘美術館HP・Japan Golf Assosiation Official HP、『町名の話 -西宮の歴史と文化-』(山下忠男著)ほか
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